アントワープ大聖堂
大聖堂の正面にまわると、ありました!噂の記念碑が↓
バックに大聖堂の正面入口が見えています。
バックに大聖堂の正面入口が見えています。
黒くて横長の墓石のような石碑。
日本語も刻まれています。横から↓
日本語も刻まれています。横から↓
諸外国からの観光客は日本語が読めないし、
そもそもイギリス人女流作家の書いた小説も知らないので、
この石碑はたいてい観光客のベンチと化しています。
このときは午前中の早い時間だったので、まだ人が少なく
誰も座っていませんでした。
そもそもイギリス人女流作家の書いた小説も知らないので、
この石碑はたいてい観光客のベンチと化しています。
このときは午前中の早い時間だったので、まだ人が少なく
誰も座っていませんでした。
かつてこの2枚の絵には覆いがかけられ、お金を払わないと
見られませんでした。
クリスマスイヴ、偶然カギが開いていた扉から大聖堂に忍び込んだ
ネロとパトラッシュは、何の拍子か、突然覆いがまくれあがったために
見られませんでした。
クリスマスイヴ、偶然カギが開いていた扉から大聖堂に忍び込んだ
ネロとパトラッシュは、何の拍子か、突然覆いがまくれあがったために
(おそらくは神の采配でしょう)、月明かりのなかでやっと、
長年憧れ続けたこの2枚の絵を見ることが出来ました。
翌日、冷たくなった二人のもとに、ネロの描いた絵が
美術展に入選したという知らせが届くのですが、もはや手遅れでした・・・。
翌日、冷たくなった二人のもとに、ネロの描いた絵が
美術展に入選したという知らせが届くのですが、もはや手遅れでした・・・。
さて、ネロとパトラッシュが住んでいたのはアントワープから
3マイルのホーボーケンという村とされています。
(原作には村の名前は出ていませんが。)
彼らはそこから市内までミルクを運んでいたのですが、
大聖堂のすぐ近くに、いまも「ミルク通り」という
道が残っていました。
3マイルのホーボーケンという村とされています。
(原作には村の名前は出ていませんが。)
彼らはそこから市内までミルクを運んでいたのですが、
大聖堂のすぐ近くに、いまも「ミルク通り」という
道が残っていました。
最後に、実はネロという名前はニコラスの愛称です。
聖ニコラスといえばサンタクロースの本名ですから、
ネロとクリスマスには最初から深いつながりがあった
ともいえるわけです。
聖ニコラスといえばサンタクロースの本名ですから、
ネロとクリスマスには最初から深いつながりがあった
ともいえるわけです。
ではみなさま、良いクリスマスを。
(とかいいながら、年内にまた更新するかもしれませんが・・・)