映画『杉原千畝 スギハラチウネ』鑑賞

あけましておめでとうございます。
年末年始休暇に入ってやっと、日本テレビ制作の戦後70周年記念
映画
杉原千畝 スギハラチウネ』を見ました。

杉原さんについては10年前に大阪の読売テレビ(日テレ系列)が終戦60年
ドラマスペシャル”を制作していて、関東でも放映されました。当時のタイトルは『日本のシンドラー 杉原千畝物語・六千人の命のビザ』
主演は反町隆史。妻の幸子(ゆきこ)は飯島直子が演じていて、幸子さんの著作『六千人の命のビザ』(大正出版)を原作としていました。
私の手元にはその後の2008年10月11日の新聞の切り抜きがあります。それは杉原幸子さんの死亡記事です。94歳でした。

さて、今回の作品では唐沢寿明が主演し、妻は小雪です。
映画の冒頭、雪原の中を満鉄が走っている場面で、おや、これはあの「あじあ号!?」と思ってしまいました。
関連記事⇒http://blogs.yahoo.co.jp/moralehistorya/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sk=0&sv=%A4%A2%A4%B8%A4%A2%B9%E6
(飛ばない場合は「あじあ号」でブログ内検索してください)

前半の、千畝がリトアニアに赴任する以前に満州でスパイ活動をしていた場面が、ちょっと新鮮でした。
あとはまあ、文献やテレビで見知ったようなことばかり・・・。
最近も「世界ふしぎ発見!」やNHKの「ザ・プロファイラー」で杉
原さんが取り上げられてましたしね。
ちなみに今回の映画のヨーロッパの場面は全てポーランドでロケが
行われています。ポーランドといえばアウシュヴィッツがある国なのでユダヤ人ともゆかりが深いわけです。

杉原さんのビザを無事に手にしたユダヤ難民たちは、ウラディヴォトークからJTBの定期船に乗り敦賀を目指します。そしてついに日本の陸地が見え、難民たちが船上で「♪コ~ル・オッド・バレ~ヴァ~ヴ・・・」と『ハティクヴァ』を歌い出したときには思わず一緒に歌っていました。
ここまでくれば安全だ!ナチスから逃げのびたんだ!というユダヤ
人たちの心の叫びが聞こえてくるような大変感動的な場面でした。

『ハティクヴァ(希望)』はシオニズムパレスティナ帰還運動)のテーマソングです。1897年ヘルツェルがバーゼルで開催した「第一シオニスト大会」の際に初めて歌われました。
タイトルはユダヤ人が1878年パレスティナに築いた最初の入植地
「ペタハ・ティクヴァ(希望の門)」にちなんでいます。
曲はルーマニア民謡を基にしていて、少しスメタナの「モルダウ
にも似たスラヴ的な憂いを帯びた切ない雰囲気があります。
この曲は戦後の1948年に成立したユダヤ人国家イスラエルの国歌と
なりました。

歌詞を訳出しておくと
「我らの胸の内にユダヤの魂がわきたつかぎり、
そして東の果てのシオンを見つめているかぎり、
我らの希望は失せない。2000年もの間抱いてきた希望。
それは自由の民となること。我らの国シオンとイェルサレムで。」

シオンZIONとは、厳密にはイェルサレム東部にある丘のことですがパレスティナ全体を指す言葉として古くからよく使われます。ヘブライ語でツィオン、英語だとザイオン。この音が京都の祇園(ギオン)に通じるとか、ガンダムのジオンの語源だ、とかいう話もあります(笑)。

かつてのスピルバーグの映画『シンドラーのリスト』では、最後に第二のイスラエル国歌とも言われるナオミ・シェメルの「黄金のイェルサレム(イェルシャライム・シェル・ザハブ)」が流れていて、それもまた印象的でした。
その直後の場面で、実際にシンドラーに命を救われたユダヤ人たち
シンドラーの墓石の上に小石を置いていきますが、それがユダヤ式墓参りです。石は花や食べ物のように朽ちることがありません。

ちょっと話がそれましたが、今年こそ、岐阜にある杉原さんの記念館に行ってみたいなあと思っています。

さてさて、映画『シンドラーのリスト』の中でも流れていた自殺の聖歌
暗い日曜日」にまつわるたびねす記事はコチラ↓

そして今年1発目の新記事はコチラ↓
「モザイクの聖地ラヴェンナでモザイチスタ体験!」

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