「ハンナのカバン」講演会
児童書「ハンナのカバン」については以前このブログでも取り上げました。そしてその著者、石岡史子さんによる講演会に行ったことも書いています。
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で、先日ついに、某中学校で行われた石岡さんの出張授業を、関係者の方の特別なおはからいで拝見することが出来ました。
壇上に石岡さんと「ハンナのカバン」が登場。スクリーンにはホロコーストの犠牲になった子供たちの写真が映し出され、講演開始です。
カバンには何が書いてある?という問いかけから始まり、ハンナの生い立ち、一次大戦後のドイツの様子などの時代背景が語られます。
当時、ドイツにどれくらい、何%くらいユダヤ人がいたと思う?という質問に、中学生たちは30?20?などと答えます。
正解は1%以下。0.75%。
当時、ドイツにどれくらい、何%くらいユダヤ人がいたと思う?という質問に、中学生たちは30?20?などと答えます。
正解は1%以下。0.75%。
ハンナの母が、次に父が、そして本人と兄のジョージも収容所へ。
ハンナが入れられたチェコのテレジン収容所では、収容者たちがひそかに学校を作っていました。それぞれ自分が得意なことを子どもたちに教えたのです。
ハンナが入れられたチェコのテレジン収容所では、収容者たちがひそかに学校を作っていました。それぞれ自分が得意なことを子どもたちに教えたのです。
石岡さんの「学ぶことこそが生きる希望だった」という言葉に胸がじんとしました。そして『夜と霧』のフランクルも、日記をしたためたアンネ・フランクも、極限状態のなかで、常に何かを学ぼうとし、残そうとしたことを思い出しました。
そう。人間はたとえどんな状況にあろうとも学ぶことができる。
学ぶことこそ、生きること。
石岡さんは中学生たちに語りかけます。
恐ろしいことも、人にやらせれば恐ろしくないのかな?
命令されたら人はなんでもするのかな?
恐ろしいことも、人にやらせれば恐ろしくないのかな?
命令されたら人はなんでもするのかな?
そして石岡さんは自分がなぜハンナという一少女の生涯を追うことになったのかという話を始めました。そして奇跡的にアウシュヴィッツから生還したハンナのお兄さんジョージを探し出しました。
ここでジョージさんとその家族からのビデオレターが流されました。
ここでジョージさんとその家族からのビデオレターが流されました。
最後の質疑応答のコーナーでは、ゆっくりとではありましたが、多くの質問が出ました。
「ユダヤ人というのは、宗教のことですか?それとも血?」
「ハンナの家族の中で、収容所に送られるタイミングがひとりひとりまちまちなのはなぜですか」
「ハンナのカバンに書かれた625という数字は何?」
「(外見ではユダヤ人かどうかわからないのに)どうやって黄色い星をつける人を決めるのですか」
「ドイツは外国と戦争しながら、国の中でもユダヤ人を殺している。この二つの戦いはどうつながっているのですか?」
「石岡さんはどうしてハンナについてそこまで熱心に調べることができたのですか?」
「ユダヤ人をすぐに殺さず労働させるのはなぜですか?」
途中、寝てしまう子もちらほら見えましたが、概して優秀な生徒さんたちです。よく聞いていたのですね。すばらしい。
私個人の感想はというと・・・
対象が中学生だったからか、私が石岡さんの話を聞くのが2度目だからか、初めて石岡さんの講演に参加したときよりも、ちょっと話し方や話の展開がいまいちだなという印象でした。同様の出張授業を何十回もされているわりには・・・。
対象が中学生だったからか、私が石岡さんの話を聞くのが2度目だからか、初めて石岡さんの講演に参加したときよりも、ちょっと話し方や話の展開がいまいちだなという印象でした。同様の出張授業を何十回もされているわりには・・・。
しかし、つまりは、なぜホロコーストが起こったのか、そしてそこから何を学ぶべきかを、当時の時代背景などを踏まえた上で中学生に伝えるのはそれだけ難しい、ということなのでしょう。
20世紀の歴史をわかっている大人であれば、いきなり本質的な話や詳しい話をされても興味深く聞けますが、子どもたちにはまず前提となることがらを伝えないといけないので、逆に本質の部分でいろんな要素が割愛されていたように思いました。
20世紀の歴史をわかっている大人であれば、いきなり本質的な話や詳しい話をされても興味深く聞けますが、子どもたちにはまず前提となることがらを伝えないといけないので、逆に本質の部分でいろんな要素が割愛されていたように思いました。
石岡史子さんの講演、人権教育、平和教育に関心のある方は
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では4月にお会いしましょう。
ド・ヴィゼニヤ~。