『アイヒマン・ショー』

世紀の裁判「アイヒマン裁判」のテレビ中継の舞台裏を描いた『アイヒマン・ショー~歴史を映した男たち~』を見ました。

ダビッド・ベングリオン首相がアイヒマンを拘束したことを発表する実録映像から始まり、その後も当時の白黒映像を交えて上手に作ってありました。

裁判の映像が残っているのは知っていましたが、それが当時イスラエルでラジオ中継されたり、全世界で放送されていたことは知りませんでした。
裁判をテレビで放送することには賛否あり、国中が厳戒態勢の中で実行されたそうです。

アイヒマンについてここで多くを説明する余裕はないのですが、要するに彼は600万ともいわれるユダヤ人を死に追いやった張本人です。
彼は戦後、偽名を使ってアルゼンチンで暮らしていましたが、ナチスの残党狩りをしていたモサドイスラエル情報局)がついに彼を見つけてイスラエルに連行しました。1961年、エルサレムで裁判が行われ、翌年、アイヒマンは絞首刑に処されます。
ちょうどガガーリンが宇宙に行ったり、キューバ危機が起きたりしたころです。

私がアイヒマンについて印象に残っているのは、その正体がバレたきっかけです。
ある日、アイヒマンは仕事の帰りに花屋で花束を買いました。
かねてから彼を監視していたモサドは、その日がアイヒマンと奥さんの結婚記念日だったことから、この男こそアイヒマンであると確信したのです。。
ユダヤ人大量虐殺を指揮した男が、結婚記念日に妻に花を買う。
このことを、あなたはどう受け止めますか?

実はこれをヒントに、アイヒマン実験ミルグラム実験)が行われました。
特定の状況において、普通の人がどれだけ残酷になれるかを試したものです。
私は10代の青少年に、ホロコーストについての講義と映像紹介をしたあと、紙面でこの実験を疑似体験させたことがあります。
ホロコーストを学んだ直後は、ナチスについて
「異常だ」「精神がおかしい」「心がない」「なぜこんな恐ろしいことができるのか」
などと言っていた子供たちが、
この実験体験と一連の課題を終えるころには、
ナチスの人が特別冷酷なのではない」「誰もが加害者になりうる」「自分がこわい」と言いだします。
映画の中でも、撮影監督のフルヴィッツのセリフにこの実験を彷彿とさせるような部分がありました。

ホロコーストを生き延びたユダヤ人が、戦後建国されたイスラエルに移住し、自分がヨーロッパでどんな目にあったかを周囲に話しても、以前からそこに住んでいたユダヤ人は誰も信じてくれなかったといいます。
いくらなんでもそんな恐ろしいことが、残酷なことが、あるはずがない。お前はうそつきだ。作り話に決まっている。
しかしアイヒマン裁判の場で100人を超える証人が、収容所で何が行われたか、どんな経験をしたかを語ったことで、ようやく彼らはヨーロッパから来た同胞の言葉を信じることができるようになったのです。
そうしてアイヒマン裁判は、全世界がホロコーストと真剣に向き合うきっかけとなりました。

映画の最後に当時の映像のアナウンサーが言っていた言葉が印象的でした。
うろ覚えですが、こんな感じです。
「自分が他人より優れた人間だと思ったり、肌の色や宗教で人を見下したりすることは、理性の喪失であり狂気への道である。」

ゴールデンウィークに入りましたね。
私も更新をしばらくお休みさせていただきます。
では5月にお会いしましょう。