アウシュヴィッツ2・収容棟内の展示

個人でアウシュヴィッツに行く日本人の間で有名な本があります↓

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著者の中谷剛さんは、日本人唯一のアウシュビッツ博物館公認ガイド。
事前に予約すれば、現地で中谷さんのガイド付きで見学ができます。
ガイドをつけない場合は、この本が重宝します。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の中の様子が、順路に従って詳細に解説されているのです。ガイドなしで見学している日本人は必ずと言っていいほど、この本を携えています。
今日ここで紹介する写真の説明も、現地のキャプションに加え、この中谷さんのガイドブックに多くを負っていることをお断りしておきます。

以前掲載した第1アウシュヴィッツの「ARBEIT MACHT FREI」の門をくぐると、
かつての囚人収容棟が並んでいます↓
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各棟に番号がついていて、最初に4号棟に入ります。ここには収容所への輸送に関する資料があります。
入口近くのガラス壺に入った白い粉のようなものは犠牲者の遺灰です↓

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1940年~1945年の間に、ここで約110万人が殺されました。
パネル写真の展示↓

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初代所長ルドルフ・ヘース直筆の書類もありました。
ギリシアからのユダヤ人に与えられた、輸送列車の偽切符↓

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収容者に書かせたハガキ↓
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1941年5月29日の収容者リストに残るコルベ神父の名前(番号16670)↓
本名はライモンド。1894年1月8日生まれ。

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アウシュヴィッツで見ず知らずの他人の身代わりになって亡くなった、マクシミリアノ・マリア・コルベ神父。
思えば、コルベ神父について書かれた本を中学生の時に読んだのが、私がアウシュヴィッツナチスについて興味をもつようになったきっかけでした。
早乙女勝元氏の著書『優しさと強さと アウシュビッツのコルベ神父』という本でした。その夏に書いた読書感想文でなにかの賞をいただき、以来、いつかアウシュヴィッツに行こうと思い続けて、ようやくその夢が叶いました。

収容棟の11号棟にはコルベ神父が入れられた地下牢や餓死室も残っていますが、この棟だけは写真撮影が禁止でした。

さて、4号棟の2階にはガス室と焼却炉の模型があります↓

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焼却炉の部品の残骸も展示されています。
毒ガスチクロンBの空き缶も↓
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チクロンBはシアン系の劇薬で、直径15センチほどの缶に入っています。粒状で、本来は害虫駆除剤です。アウシュヴィッツでは25トンものチクロンBが使用されました。

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またこの4号棟2階には収容者から刈り取った膨大な量の髪の毛がうずたかく積まれた衝撃的な部屋もあるのですが、撮影禁止。遺体の一部ですからね。
ナチスはこれらの人毛でカーペットなどを作っていました。

次回のアウシュヴィッツ・レポートでは、息をのむ遺品の山を紹介します。