黒いマリアの謎

今日はベルばらの日、だそうです。
1974年の今日、宝塚歌劇で「ベルサイユのばら」が
初演されました。
 
さて本題。
先週、モンセラットの「黒いマリア」を紹介しました。今日はその続編。
「黒いマリア」はヨーロッパ各地で見られますが、
そもそもなぜ“黒い”のでしょう?
長年、ろうそくのススを浴びていたから?
かつて貼られた銀箔が酸化したから?
 
確かに中には、顔を洗ってあげたら黒くなくなった、という例もあるそうです。しかし多くは明らかに、肌が、または肌も衣装もすべてが、黒い塗料で塗られています。
 
実はフランス、スペインの黒いマリアには多くの共通点があります。
ロマネスク時代(12世紀)に作られたこと。
1メートル足らずの木彫であること。
幼いイエスを膝に抱いていること。
また、それが祀られている場所はいずれも、
ローマ人による征服以前はケルト人の聖地であったこと。
 
黒いマリア研究の第一人者、馬杉宗夫氏は、黒いマリアがケルトの奇岩信仰、泉信仰、ドルイド教と関係があることを指摘しています。
参照:『黒い聖母と悪魔の謎』講談社学術文庫
 
さらにさかのぼって、古代エジプトのイシス信仰とのかかわりを指摘する向きもあります。確かに西洋人に比べると、アフリカ人は肌が黒いです。
(※古代エジプト人は黒人ではありません)
 
古代エジプトでは肥沃な大地を黒い土地(ケメト)、不毛な砂漠を赤い土地(デシェレト)と呼びました。黒は豊穣や大地母神の象徴だったのです。以前、聖母子像の起源が、ホルスを抱くイシスにあることも紹介しましたね。
 
・・・まあ、結局のところ、まだまだ研究の余地がある分野だということですね。謎めいているからこそ、人をひきつけるのかもしれません。