ラ・メルヴェイユ

ヴィクトル・ユーゴーについての
つれづれ話(その2)です。
 
フランスの世界遺産モン・サン・ミシェルが、
巡礼地として、また観光地として
よみがえるきっかけを作ったのも
実はユーゴーでした。
 
1836年、愛人とともにノルマンディー地方
旅していたユーゴーは、フランス革命以来、牢獄として
使用されていたモン・サン・ミシェルを目にして、
その幻想的な美しさに心打たれました。
 
そして、この驚異の建造物を称える文章を次々と発表。
“これこそ、フランスにとって、
エジプトのピラミッドに相当する至宝である!”
 
彼の言葉がきっかけになって、
それまで暗く寂しい、打ち捨てられたような
存在だったモン・サン・ミシェル
人々が押し寄せるようになりました。
 
ついに皇帝ナポレオン3世は1863年に
モン・サン・ミシェルを牢獄として
使用することを中止し、
歴史的建造物として保存することを決定したのでした。
 
 
 
おっと、「愛人と」がひっかかりますか?
不倫旅行なんてけしからん?
 
ユーゴーの弁護をしておきましょう。
彼にはアデルと言う名の妻がいました。
しかし、彼女はなんとユーゴーの友人であった男と
不倫の恋に落ちてしまうのです。
 
妻を親友に奪われて、怒りと悲しみに
とりつかれていた彼が、
他の女性に救いを求めたとしても、
どうしてそれを責めることができるでしょう。
 
つづく・・・。