白眼視の元祖

昨日、ヒンデンブルグの話をしたら、エジプトで気球が炎上墜落!
気球に乗るツアーといえば、トルコのカッパドキアが有名ですね。
大都会ベルリンの上でもやっていました。
どちらも浮いているのを見ましたが、乗っていません。
 
・・・相変わらず、エジプト人は油断ならないなあ。
去年カイロ空港で、飛行機をおりて空港の建物にバスで移動するさい、
しばらくまっすぐなのをいいことに、バスの運転手がこれみよがしに
ハンドルから両手を離してヘラヘラしていたので
「ラ!ラ!(ダメ!やめろ!)」
と叱りつけましたが、聞いちゃいねえ。
まあ、そーゆー人たちです。
 
さてさて、水曜・中国デーですね。
今日は王羲之より少し前に活躍した、変人哲学者のお話。
 
後漢末期の混乱から魏、蜀、呉の三つの国が
できたのはご存知ですね。
その魏の末期から、次の西晋にかけての時代(3世紀)に、
竹林の七賢」と呼ばれる賢者たちがいました。
 
彼らは俗世間を離れ、いなかに引きこもって
思索にふけったり、酒や音楽にひたったり、詩文を作ったり
・・・と気ままな日々を送っていました。
そして竹林や山中で、同好の士と老荘思想に基づく哲学談義に
花を咲かせることもしばしばありました。
 
そんな七賢のひとりに、阮籍(げんせき)という人がいました。
彼は超マイペースな変わり者で、何かに興味をもつと
寝食も忘れて没頭するようなところがありました。
周りからはキ●ガイ扱いされていましたが、
時は乱世。政治的な失言が命取りになる時代。
彼は狂気を装っていたのかもしれません。
 
ある日、友と碁を打っている最中に母が死んだという
知らせを受けました。それでも碁を打つのをやめませんでした。
しかしながら勝負がつくと、酒をしこたまのんで、
血を吐きながら大声をあげてオイオイ泣いたのでした。
 
そして知人たちがお悔やみを言いに訪ねて来ましたが、
儀礼的なお決まりのセリフしか言わない客は
白眼をむいて追い返しました。
お前の顔なんか見たくない、見るに値しない、というわけ。
しかし同じ七賢のひとり、けい康(けいこう)が酒と琴とを
たずさえてやってくると、やっと青眼(黒眼)で
まともに対応しました。
 
ここから、人を小バカにしたり軽蔑したりすることを
「白い眼で見る(白眼視する)」というようになりました。
 
中国デーは3月いっぱいで終了します。
が、中国ネタは今後も不定期に登場します。
4月からは続々と新シリーズ開始!
これからも応援よろしくお願いします。