クレオパトラに会いに行く
展示室に入るといきなりなまめかしいクレオパトラがお出迎え☆
19世紀にフランスで作られた、死の直前のクレオパトラのブロンズ像です。想像によって理想化されてますが、私たちの持つクレオパトラのイメージに一番近い表現のように思いました。
19世紀にフランスで作られた、死の直前のクレオパトラのブロンズ像です。想像によって理想化されてますが、私たちの持つクレオパトラのイメージに一番近い表現のように思いました。
今回の展示では古代エジプトの4人の王妃(女王)に焦点を当てています。
古い順に、男装の女王ハトシェプスト(紀元前1460年ごろ)→アメンホテプ4世の母ティイ(紀元前1360年ごろ)→アメンホテプ4世の妻ネフェルティティ(紀元前1350年ごろ)→プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ(紀元前30年没)。
(この並び替えができれば、受験生としては大したものです。)
古い順に、男装の女王ハトシェプスト(紀元前1460年ごろ)→アメンホテプ4世の母ティイ(紀元前1360年ごろ)→アメンホテプ4世の妻ネフェルティティ(紀元前1350年ごろ)→プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ(紀元前30年没)。
(この並び替えができれば、受験生としては大したものです。)
年号に注目していただくと、最後のクレオパトラだけポ~ンと時代が飛んでいることがおわかりでしょう。そう、クレオパトラは、すでに古代エジプトの栄光の時代がとっくに終わり、ローマに征服される直前の女王です。彼女自身、ギリシア人なのでエジプト人ですらありません。
さて今回の展示で印象的だったのは3つ。まずは王宮の「窓」。
古代エジプトの神殿はたくさん残っていますが、レンガ造りだった王宮はほとんど崩れていて見ることができません。ところが、石灰岩で作られたために窓の部分だけがそっくり残っていた、というものがありました。めずらしい~。
厚みがあり、縦向きの巨大なよろい戸のようにスリットが入っていて、強い日差しを防ぎながらも光を入れようとしたのが分かります。HPで写真が見られます。
古代エジプトの神殿はたくさん残っていますが、レンガ造りだった王宮はほとんど崩れていて見ることができません。ところが、石灰岩で作られたために窓の部分だけがそっくり残っていた、というものがありました。めずらしい~。
厚みがあり、縦向きの巨大なよろい戸のようにスリットが入っていて、強い日差しを防ぎながらも光を入れようとしたのが分かります。HPで写真が見られます。
3つ目は紀元前31年のアクティウムの海戦の様子を描いたレリーフ。この海戦はクレオパトラとその恋人アントニウス(カエサルの部下)の連合軍が、カエサルの養子であり後継者であるオクタヴィアヌスと戦ったもので、これに敗れた前者は共に自殺を遂げます。そして勝者オクタヴィアヌスはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスとなります。歴史上、大変重要な戦いです。
この戦いは、どうしてもエリザベス・テーラー主演の映画「クレオパトラ」のイメージが強すぎてなかなか実態を想像できなかったのですが、今回のレリーフはほぼ同時代に刻まれたものとあって、実際の戦闘の様子をかなり忠実に表現していると思われます。見入ってしまいました。
では今月はこのへんで。
日本がバカみたいに暑いから、ちょっと涼しい国に避難しまっせ。
お次は9月にお会いしましょう~☆