アッシジの聖フランチェスコ

ローマ教皇選挙、コンクラーベは2日目5回目の投票で、
教皇が選出されましたね。
有力候補者がいなくて長引くという話もありましたが、
意外と早く決定しました。
 
中世の伝統によると、新教皇に選ばれた者はその場ですぐに、
教皇としての役目を受けるか」とラテン語で尋ねられます。
それに対しラテン語で2回拒否し、3度目に尋ねられて
やっと受諾するのだそうです。
 
「私は受け入れる」と言うと、次に
「どういう御名を名乗られますか」
と聞かれるので、
「〇〇何世と称する」と答えます。
こうして新教皇が誕生します。
 
きっと、コンクラーベに参加する枢機卿のみなさんは、
もし自分が教皇になったらこんな名前にしよう~、
なんていつも考えているのでしょうね。
 
この2回拒否する、という伝統がいまも続いているかはわかりません。
なにせコンクラーベ(=鍵をかける)は密室での出来事ですから。
これは私の推測にすぎませんが、この伝統はイエスの一番弟子であり
初代教皇である聖ペテロのエピソードに由来するのではないかと思います。
 
エスが逮捕されたときに、
「あの男もイエスと一緒にいた」と周囲の人に言われたペテロは、
自分も逮捕されるのでは、と怖くなり
「あんな男(イエス)なんか知らない」
と三度イエスを否定したのです。
エスはペテロのこの行動を、最後の晩餐のときに
すでに予言していました。
 
さて、今回選出された新教皇の名前をご存知ですか?
「フランシスコ1世」だそうです。
長いカトリック教会の歴史の中で「フランシスコ」を名乗る
教皇が初めてなのには驚きました。
 
アメリカ西海岸の都市サン(聖)・フランシスコや、
あのフランシスコ・ザビエルの名前の由来でもある
聖フランチェスコカトリック教会最大の聖人です。
(1182~1226年)
 
もとは裕福な家の生まれでやんちゃな青年でしたが、
あるとき信仰に目覚め、家の財産を使って貧者を救うようになり、
それを父親に咎められると全てを捨てて出家し、
フランシスコ会という托鉢修道会を創設しました。
私有財産を一切持たない厳しい会則を設け、
自身も徹底した清貧と奉仕の生活を生涯貫きました。
 
彼の説法は小鳥も聞きにきたといわれ、その場面はよく絵画の
題材になっています(ジオット「小鳥への説法」)↓。
 
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聖フランチェスコの生涯を描いた
『ブラザーサン・シスタームーン』という映画も有名です。
 
彼が生まれたイタリアのアッシジという街には
彼の生家が残っており、外観だけですが見たことがあります。
山頂にある街のシンボルは、その名もサン・フランチェスコ聖堂↓。
内部はジオットなど、ルネサンス期の芸術家のフレスコ画
飾られており、宗教絵画の宝庫。世界遺産でもある巡礼地で
す。
 
イメージ 2

私がアッシジを訪れたその少しあとで、中部イタリアで大地震が起き、
この聖堂のフレスコ画が剥がれ落ちたと聞いたときはとてもショックでした。
いまはもう修復されていると思います。
 
黒い粗末な僧服に、結び目のある腰ひも、はだしにサンダルという
聖フランチェスコとまったく同じ姿の修道士たちとすれ違う
アッシジは、中世の面影をよくとどめる美しい街です。
 
~つづく~