ムセイオン22 テンプル騎士

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白いマントに赤い十字、とくれば
テンプル騎士団
この騎士はスペインのトレドに近い土産物屋で買いました。
フランスのモン・サン・ミッシェル島内のお土産やさんにも
こんな感じの騎士たちがたくさん売られていました。
騎乗姿の大型のものもありました。

テンプル騎士団は、十字軍の時代(11世紀末~13世紀)に
活躍した三大宗教騎士団(騎士修道会)の一つ。
宗教騎士団とは、聖地イェルサレムで、聖地巡礼者の安全確保、
聖地の防衛、また医療活動などを行った団体です。

残りの二つは、黒マントに白い十字の聖ヨハネ騎士団と、
白マントに黒い十字のドイツ(チュートン)騎士団。
 
聖ヨハネ騎士団は、南イタリアアマルフィにあった病院が
母体となっていたため、ホスピタル騎士団とも呼ばれます。
その後拠点をキプロス島ロードス島マルタ島と移していき、
マルタ騎士団と名前を変えて、実はいまも存在します!!
 
ドイツ騎士団は13世紀に入ってから、エルベ川以東への
植民活動を熱心に行い、ドイツ騎士団領を形成。これが
プロイセン王国の起源です。
 
そして、今日団員に登場いただいたテンプル(聖堂)騎士団ですが、
かつてソロモン王が建てた神殿の跡地に本部を置いたため
このように呼ばれます。

フランスの貴族によって創設されましたが、その後
見事な経営手腕で巨万の富と土地を手に入れてしまったのが
運のツキ。
お金を貸していたフランス国王にその財力をうらやまれ、
悪魔崇拝やら男色やら、あらぬ嫌疑をかけられたすえ
団員は異端者として次々に逮捕、処刑されます。
 
中でも総長であったジャック・ド・モレーは
火刑に処される直前、フランス国王シャルル4世と
ローマ教皇クレメンス5世に対し、“ふたりは1年以内に
死ぬであろう”という予言のような呪いの言葉を口にし、
実際に王と教皇はその年の内にあいついで急死しています。
 
以来、ド・モレーが処刑された13日の金曜日(1307年10月)
は縁起の悪い日と考えられています。
(※イエスが処刑された日だから、など諸説あり)
 
ともあれフランス王家は借金を踏み倒した上に
テンプル騎士団の全財産、土地を没収したわけですねー。
ちなみに、フランス革命のときにルイ16世一家が幽閉されていた
タンプル塔(いまはなく、跡地が公園になっている)も
テンプル(=フランス語でタンプル)騎士団ゆかりの建物でした。
 
テンプル騎士団や当時の時代背景をある程度ご存知の方なら、
ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」という
超難解な小説を楽しむことができるでしょう。
夏休みの読書にいかが?
私は読破するのにかなり忍耐をしいられました・・・。
もう一度、読んでみたいような、読み返したくないような・・・。