小さなギリシア人・ハドリアヌス帝

マンガ、映画の『テルマエ・ロマエ』によって
有名になったローマ皇帝ハドリアヌス
今日は、彼とギリシアのつながりについて、2月にアテネ
撮影した写真とともに紹介したいと思います。
 
彼が生きた紀元1~2世紀はまさに
パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる、
ローマ帝国の黄金期でした。
18世紀イギリスの歴史家ギボンは、その著書
ローマ帝国衰亡史』のなかで、
「人類が最も幸福であった時代」とまで言っています。
 
なかでも“五賢帝”と称えられる5人の皇帝の
なかの3番目が、
プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス
テルマエファンの方はご存知でしょうが、
ハドリアヌス帝は、ローマ人には珍しくもないゲイです。
あ、でもちゃんとお妃もいますよ。

彼のお気に入りの美青年はご存知、アンティノウス。
かわいそうに、エジプト滞在中にナイルで溺死しました。
アテネの国立考古学博物館には、ふたりが隣り合って
展示されています↓
 
イメージ 1

左がアンティノウス(確かに美青年!)
右がハドリアヌス(目つきがやらしい?)
ちなみにハドリアヌスはヒゲをはやした最初のローマ皇帝
彼以前の皇帝の彫像にはヒゲがありません。
 
実は彼は、大変なギリシアびいきでした。
ギリシアの学芸を深く愛し、詩才もあり、ギリシア風の衣装で
公務を行うこともあったため「小さなギリシア人」と
あだ名されていました。
 
また生涯で少なくとも三度、アテネを訪問しています。
そのたびに、アテネがかつての栄光(紀元前5世紀が絶頂期)を
取り戻せるよう、復興に力を注ぎました。
 
例えば巨大な図書館を建造し寄贈。
↓めっちゃ広い「ハドリアヌスの図書館」IN アテネ
イメージ 2
 
つくりかけのまま約700年も放置されていた
ゼウス神殿を完成させたり。
↓「ゼウス・オリュンピオス神殿」IN アテネ
イメージ 3
 
いまは柱が15本しか残っていませんが、
かつては104本のコリント式の列柱がありました。
 
アクロポリスの程近くにいまも立つ「ハドリアヌス門」
には、裏と表に次のような言葉が彫ってあります。

町の中心であるアクロポリス側から見える西面には
『ここはアテネテセウスの造りし古き都』
テセウスは古代アテネの英雄)
 
反対の東面には
『ここはハドリアヌスの都。
テセウスの造りし古き都にはあらず』
アテネの人々も皇帝に感謝していたのでしょう。
 
ハドリアヌスの図書館」と「ハドリアヌス門」をつなぐ通りは
いまもハドリアヌス通り(ギリシア語ではオドス・アドリアヌウ)
と呼ばれています。
 
本当は「ハドリアヌス門」の写真をのせるつもりでしたが
容量オーバーだそうで・・・。明日のせることにします。
 不本意ながら、明日に続く・・・。
 
テルマエで古代ローマにご興味をもたれた方、
ぜひ古代ローマトリビア集「SPQR」もご覧ください。
左の書庫の一番下です。