ハドリアヌスとアントニヌス・ピウス

テルマエ・ロマエ2』の人気に乗じて、ローマネタ☆
初めて来てくださった方、ぜひ古代ローマトリビア集「SPQR」も
ご覧ください。左の書庫の一番下です。
 
さて、お待たせしました。昨日掲載できなかった
アテネにある「ハドリアヌス門」でございます。
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説明は昨日の記事を参照ください。
アーチの向こうにアクロポリスとパルテノンの屋根が
見えています。
この面に「ハドリアヌスの都」と書かれています。
写真を撮っているこの位置から後ろを向くと、
ゼウス神殿があります。
 
ハドリアヌス帝のお墓(廟)はローマに作られましたが
その後改造され、いまは「サン・タンジェロ城」と
呼ばれています。ティベル川のほとり。
映画「ローマの休日」や「天使と悪魔」でおなじみですね。
 
元老院ハドリアヌスを嫌っていたため、
ハドリアヌスの死後の神格化を拒んだ”という、
テルマエ~』に出てくるエピソードは正しいです。
いまでこそ英邁なる名君とされるハドリアヌスですが、
実は同時代人の評価はすこぶる悪く、むしろ憎悪されていました。
彼のギリシア趣味が、あの暴君ネロと重なったことも
影響しているかもしれません。
 
ローマ帝国では、皇帝はもともと神の血を引いている
とされ、亡くなると国家神の列に加えられることが
伝統になっていました。
※当時のローマ帝国はまだキリスト教国家ではなく
諸神混淆の多神教の国です。
 
万一、神格化されないと、その皇帝は「国家の敵」
と見なされ、彼の治世中のあらゆる功績が
記録から抹消されてしまうのです。
そして「暴君」という不名誉な枕ことばが
つくようになります。その典型例がネロ帝です。
 
ハドリアヌスの後継者アントニヌス・ピウス帝は
元老院の信頼も厚く、温厚な人柄だったので、
彼の説得によってハドリアヌスは神格化されました。
 
「ピウス」とは「敬虔な」という意味です。
なぜこの称号がついたのか諸説ありますが、
一説に、
「もしハドリアヌス帝が神格化されないなら、
私は皇帝の位を継がない!」
と彼が元老院に言ったからとされます。
 
つまり、生前自分をかわいがってくれた
誤解多き先帝への義理堅さ、忠誠心などが
「敬虔なアントニヌス」という呼び名の由来であろう、と。
 
では最後に、容姿端麗で高貴な顔立ちだった
といわれるアントニヌス・ピウスの肖像をご覧ください。
五賢帝はすべて実子でなく養子に継がせていますので
前任者と顔は似ていません。でもヒゲは受け継がれました(笑)。
確かにやさしそうなお顔ですね。
 
↓「アントニヌス・ピウス帝」アテネアゴラ博物館にて
 
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