Hanna's suitcase

今日は、起きしなにチュニジアのバルドー博物館が
襲撃されたというニュースを知りました。
何年も前からいつか絶対行こうと思っていたところだけに
非常にショックです。
古代ローマのモザイク博物館です。人命も大切ですが、
展示品が無事なのか、それがとても心配です。


さて、気を取り直して。
2月27日、児童書『ハンナのかばん』の主人公であり、
日本語版の翻訳者でもある石岡史子さん
NPO法人ホロコースト教育資料センター代表)の
講演会に行ってまいりました。

『ハンナのかばん』に関する過去の記事はコチラ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/moralehistorya/33363629.html

もちろん、件のハンナのかばんを持参されていました。
前半はスライドを使って、「ホロコースト」の概要の説明、
そして後半は参加者からの質問を受け付けながら
進めていく、というものでした。

講演の様子と本物のダヴィデの星
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

今日はあくまで自分の備忘録として、以下に
印象に残っていることをつれづれなるままに、脈絡なく記録しておきます。
詳細はこれから調べるのでウラはとっていません。
記憶違いはご容赦を。

●ハンナが収容されたチェコテレジン収容所は、ガス室はなく
ユダヤ人自身が管理も行っている。
テレジンアウシュヴィッツに送るための経由地として
使われていた。
●ハンナのかばんの表面の、白く塗りつぶされた部分には
最初の移送番号(AV597)が書かれていた。

●ハンナのかばんを見た子どもたちの反応
・・・孤児院から来たの?(かばんに「孤児」と書いてあるため)
・・・両親はどうしたの?
・・・かばんの中には何が入っていたの?  などなど

●ドイツでは、ヒトラーが政権を掌握した1933年から80年を迎えた
2013年に、1年間かけて学校でホロコースト教育をやった。
2013年、ベルギーに新しいホロコースト博物館ができた。
今年1月ワイツゼッカーが死去。『過去に目を閉ざす者は
現在にも盲目となるになる』。

●ワシントンのホロコースト博物館に「生命の樹」がある。
それは全滅した村の幸せだったときの写真。
●フランスのルシャンボンという町では町ぐるみでユダヤ人をかくまった。
デンマークユダヤ人はほとんど助かった。住民みんなが
彼らを小船に乗せて中立国のスウェーデンに逃がしたから。
●ウィーンの町の広場に、ユダヤ人が道路を磨いている像がある。
(当時実際にそういうことが行われており、それを傍観していた
人も、加害者なのでは?)


以下はホロコースト教育を行う上で、石岡さんが気をつけていること。
または子どもたちに気付かせたいこと。
ユダヤ人たちが死んでしまったことではなく“生きていた”ことに注目。
●どれほど残虐なことが行われたか、を伝えるのではなく、
なぜホロコーストが起きたのか、そのプロセスを知り、考える。
プロセスから学ぶことが大切。
●平和とは「戦争がないこと」ではない。
●「ヒトラー、最低!!」という感想が出るような授業は失敗。
●暴力を加えた人/助けようとした人/黙って見ていた人。
この三者に誰もがなりうる。あなたも。
そして黙って見ていた人も加害者である。

●講演の最後に、ホロコーストを生き延びた或る人の
言葉が紹介されました。教育に携わる者として、
痛いところを突かれた思いです。
以下がその言葉です。

『私は収容所の生き残りです。私は人間が決して目にすべきでは
ないものを見てしまいました。

学識ある技術者の手によって建てられたガス室
教養ある化学者の手で毒殺された子どもたち。
熟練した看護婦の手で殺された幼な子たち。
高等教育を受けたものたちの手で撃ち殺された
女性と赤子たち。

だから私は“教育”というものを信用できないのです。

私はあなた方にお願いしたい。

子どもたちが人間らしい人間に成長するように
手を貸してあげてください。

“教育”が、知識だけをつめこんだ怪物、
技術だけを身につけた怪物をつくりだしてはなりません。
読み、書き、計算も、それらが
より人間らしく育つことに役立ってこそ、
重要性を持つのです。』