あえてのサン・ドニ

あのテロ事件以来、パリ北部のサン・ドニ地区がニュースで度々取り上げられました。テロの実行犯がここで計画を練っていたとか、いまも潜伏しているとか言われて掃討作戦が行われたので、まるでテロリストの巣窟のように思われているかもしれません。確かに移民や貧困層が多く、犯罪率が高いという報道もありますが・・・。

本日は、そんなこととはつゆ知らずかつてサン・ドニを訪れたときのお話。実はこの街にはフランス王国史ファン特にベルばらファン必見の、すんばらしい大聖堂があるのですよ!
それがコチラ!「サン・ドニ・バシリカ大聖堂」です。


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なんだかアンバランスでしょ?
かつては左にも、右側よりもっと高い塔があったのですが、1837年
6月に落雷にあって崩壊しました。(そしてあわてて再建したら自らの重みで10年も持たずに崩れ落ちたとか・・・)

サンドニ(聖ディオニュシオス/聖デニス)はパリ最初の司教。3世紀半ばに殉教しました。モンマルトル(殉教者の山)で斬首されたあと、自分の首を抱えて数キロ歩き、力尽きて倒れたところに建てられたのが、この教会です。

5世紀に最初の聖堂が建てられ、やがて権威あるベネディクト派の修道院となります。そして12世紀に、当時流行していたゴシック様式の立派な教会になりました。
大聖堂の側面に彫られた処刑の様子↓

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サンドニはフランスの守護聖人なのでフランスでは色んなところで目にします。
斬られた首を持って歩いた聖人はたくさんいますが、フランスに限って言えばほぼ、サンドニです。
例えば、有名なノートルダム大聖堂の正面にも↓(天使が驚いてる。笑)

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さて、サンドニ大聖堂の中に入ってまず目を奪われるのが、素晴らしいステンドグラスの数々!さすがゴシック全盛期☆

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特にこの右側の窓は「エッサイの樹」と呼ばれる有名なモチーフで、シャルトル大聖堂にも同じものがあります。
エッサイはダヴィデ王の父。一番下に横たわるエッサイから生えた
樹に旧約聖書の王たちが連なり、一番上がイエス。イエスダヴィデ王の家系であることを示しています。

そしてそして!このサンドニ大聖堂の何がすごいって、あなた!
フランス王家の墓所なのですよ。
フランク王国初代のクローヴィスから始まり、カロリング家のカー
ル・マルテル、そしてカペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝の歴代フランス国王&王妃が勢ぞろいです!

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こんな感じで大理石の王さまがうじゃうじゃ横たわってます!ほぼ等身大。その数なんと70人以上。教会の中がネクロポリスと化しています
ただし、実際に本人が埋葬されているわけではありません。革命中に墓が暴かれ遺骸が持ち去られたため、ほとんどの墓は空です。

一際大きいの↓はルイ12世と妃アンヌ・ド・ブルターニュのお墓(修復作業中)。

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次の2枚はともにアンリ2世と妃カトリーヌ・ド・メディシス。カトリーヌはノストラダムスパトロンだった人です。
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あとは、フランソワ1世(ダ・ヴィンチを看取った王)のお墓もめっちゃでかくて立派でした。
残念ながら、教科書に出てくる有名人たち、すなわちカール大帝ユーグ・カペー、フィリップ2世、ルイ9世、シャルル7世などはいませんでした・・・。
次回はクリプト(地下)をご紹介します。クリプトにはブルボン朝末期の王族の墓と彼らの心臓(本物)があります。お楽しみに~♪