巨大プリッツの正体
ある程度のレベルのイタリア料理店に行くと、テーブルに巨大プリッツのような細長ーいパンが立ててあります。5~6本ずつ袋に入っていることもあります。
それは「グリッシーニ」です↓
アンティパスト(オードブル)の生ハムを巻きつけて食べたり、こってりした料理のあとで口の中をリセットするためにつまんだり、ご自由にお食べください。サクサクの食感がクセになります。
ただ、ひとつだけルールが。両手で持って真ん中で半分に折ってから食べます。長いままかじってはいけません。
ただ、ひとつだけルールが。両手で持って真ん中で半分に折ってから食べます。長いままかじってはいけません。
イタリアのスーパーには、いろんな太さのグリッシーニがあって、日本では見たことがないような極太グリッシーニもありました。パン屋さんで焼きあがったばかりのものは2メートルくらいあり、それを30センチくらいにザクッ、ザクッと切って売ります。
この不思議な形のパンが生まれたのには、こんなお話があります。
北イタリアから南フランスにかけて、かつてサヴォイア公国という国がありました。首都はトリノです。
17世紀後半のこと。この国の王子は、生まれたときからお腹が弱く、いつも消化不良に悩まされていました。心配した公妃が医者にみせると、消化のよい練り粉で発酵させたパンを食べるように、と言われました。
そこで王家御用達のパン屋によって生み出されたのが、このグリッシーニだったのです。するとたちまち貴族たちの間にも広まって、グリッシーニはトリノの名物となり、やがてイタリア中に広まりました。
17世紀後半のこと。この国の王子は、生まれたときからお腹が弱く、いつも消化不良に悩まされていました。心配した公妃が医者にみせると、消化のよい練り粉で発酵させたパンを食べるように、と言われました。
そこで王家御用達のパン屋によって生み出されたのが、このグリッシーニだったのです。するとたちまち貴族たちの間にも広まって、グリッシーニはトリノの名物となり、やがてイタリア中に広まりました。
グリッシーニのおかげか、その王子は無事に成人しました。そしてシチリア島を手放すかわりにサルデーニア島を領土に加えて、初代サルデーニア国王ヴィットーリオ・アメデオ2世となりました。トリノの街並みを今のように整備したのは彼です。
このサルデーニア王国こそ、19世紀のイタリア統一運動の中心となる国です。そして1861年ついに、ローマ帝国崩壊以来初めて、イタリア半島・シチリア島・サルデーニア島が一つの国にまとまり、サルデーニア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が初代イタリア国王となりました。
イタリアの各地に、この王の名を冠した広場や記念碑があります。
イタリアの各地に、この王の名を冠した広場や記念碑があります。