アウシュヴィッツ3・犠牲者の遺品

ある日突然、ゲシュタポが玄関の扉を乱暴にたたく。
このゲットーは閉鎖する、お前たちを移送する、さっさと荷物をまとめろ。
どこへ行くのかも知らされぬまま、旅行カバンに全財産をつめこむ。
現金、宝石、先祖伝来のメノラ―(ユダヤ教の儀式につかう燭台)、家族の写真。
着替え、食器、歯ブラシ、靴墨、パパが買ってくれたお人形。
ダメだダメだ、ペットは置いていけ、早くしろ、外に出ろ。

トラックに乗せられ、たどりついたのは鉄道の駅。
荷物は後で送るからカバンに名前を書け。カバンをホームに置いたら列車に乗るんだ。
窓もない家畜用の貨車。暗闇の中、立ちっぱなしでぎゅうぎゅうづめ。
飲まず食わずで何時間、いや何日間もの移動のすえ、ようやく列車が止まる。
脱水症状で死んだ人々を踏み越えてやっと外へ。
男はこっち、女はあっちだ、整列しろ。
家族、夫婦もばらばらに。
そして始まる死の選別。
お前は右、お前は左。
たった1本、指を動かすだけで、労働要員となるか、ガス室行きかが決定される。


ビルケナウに今も残る、実際に使用された貨車↓
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アウシュビッツにて。犠牲者の遺品の数々。

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旅行カバン

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日用品

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ブラシ類

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義肢

他にも、衣類、メガネなどの山がありました。
もっとも絶望的な気分になるのはやはり、刈り取られた髪の毛の山です。
しかし写真撮影は禁止でした。







リアルねこあつめ2 ふえちょる!

そもそも我が家の周辺は野良猫が多いのですが。
昨年、隣家の敷地で子猫が4匹生まれたことをここで書きました。

あれから月日は流れ、色んなことがございました。
とりあえず4匹の子猫に勝手に名前をつけたのですよ。
一番人懐っこいのはミカエル(通称ミケ・毛色も三毛)。
三毛のなかで白が多いのはラファエル(通称ラファ)。
三毛の中でオレンジが多いのはガブリエル(通称ガブ)。
ひとりだけ白サバなのはウリエル(通称ウリ)。

最初はミケがうちによく遊びに来ました。が、そのうち姿を消し・・・。
入れ替わりでガブがよく来るようになりました。ガブは昨年12月末ごろから来なくなり、今度はウリが来るようになりました。その後、ウリはほぼうちの子気取り(?)で、だいたいうちの窓から見えるところにいるように・・・。
今年の1月のこと、なんとなくウリをおしりから見たら、あれ・・・?
女の子!?ごめーん、ウリ~!ずっと男の子だと思ってたよ~!!

ウリはいまも毎日うちの周辺に居座っています。
で、ここ数か月は夕方になると毎日ラファも遊びにきます。
ウリとラファは仲良し。うちの庭で追いかけっこして大はしゃぎ。
ところがウリは、ミケやガブとは折り合いが悪いのです。
子供のころはくっついて寝てたのにね~。

数週間まえ、夕方に突然ミケが来たことがありました。
うわ~何か月ぶり~?ミケー!久しぶり~!!と、よく見たら、なんと鈴のついた赤い首輪をしているではないですか!
ミケ!お前、誰かに飼われてるんだね、大事にされているんだね、あ~よかった~☆よかったね~☆
という感動の再会があったのであります。

また、少し前、数日間ラファが来ないことがあり、次に来たときには、なんと「サクラ猫」になっていた!
「サクラ猫」とは、避妊・去勢済みの野良猫のこと。まるで桜の花びらのように耳をV字にカットされているのですぐわかります。誰か親切な人が病院に連れて行ってくれたのですね。一般にオスは右耳、メスは左耳をカットします。
確認したら、ラファの下腹部の毛がそられていて、糸で縫ってありました。
いや~ありがたい。


これを撮っているときにラファの左耳が切られていることに気付いた↓
三毛のラファと白サバのウリ↓
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というわけで最近は私もウリを病院に連れていくべく奮闘しています。
一度は病院を予約したのですが、捕獲に失敗・・・。
多少なついてくれているとはいえ、やはり野良猫。捕まえて洗濯ネットに入れるなんて・・・むずかしいよう・・・。
一時期、ウリがオジサン猫に追い掛け回されて、ストレスから体の至るとこにハゲができ、心配になったので段ボールに入れて近所の動物病院に連れて行ったら、野良は洗濯ネットに入れてないと診られない、と断られてしまいました。
なので今度はちゃんと野良専門の病院を予約したのに・・・。
結局捕まえられなかった。次の発情期がくるまでになんとかせねば!

とかやっているうちに、また新たな展開が。
つい先週のこと。朝の6時前に「ミャー!ミャー!」という甲高い声が窓の外から聞こえてきたわけですね。がばあっっと起きて窓の外をみると、きゃああああ!
「こにゃ」がああ~~!!狩りに出かけたママにゃんを追って、兄弟からはぐれた子が2匹鳴いていました。
とりあえず大急ぎで救出。首根っこをつまんで巣の方へぽいっ。
ちっちゃーい♪かわいい♪

というか、やってくれたなあ、ママにゃん!!
ウリやラファのママねこさんが、今年もまた生んでいました。またもや4匹。
こうやって猫って増えるのね・・・。

そういうわけで、子猫をもらってくださる方募集中です。
まだ離乳前なので、いまならママにゃんが狩りに出かけているうちに失敬できまっせ。茶トラ、トラ、白サバ、サビの4匹です。(たぶん。よく見えない。)
これって猫さらい?家族には野良なんだからほっとけ!と言われてます・・・。

最近はこにゃが気になって、家にいると仕事が手につかないにゃ~。
できればうちでも何匹か引き取りたいんだけど・・・。
私の趣味が海外旅行なのがネックです。うーん、悩ましい。

大混乱の若冲祭りに並んでみた

ご存知の人も多かろうと思いますが、現在上野の東京都美術館で開催中の
若冲展」が大変なことになってます。
すざまじい行列!もはや祭!上野駅公園口を出るとすぐ、プラカードで待ち時間を知らせる人が立っています。わたくしが行った先週金曜の午後は210分待ち。

あううう、あのとき見ておけば。
GW直後の平日午後に仕事で御徒町まで行ったので、本当はその日に見て帰るつもりだったのです。が、上野に着いたら90分待ちだったのでえええ~と思って、東博の「黄金のアフガニスタン」を見て帰りました。
思えばその日の90分待ちなんてマシな方だった・・・・。長蛇の大行列の写真は色んな人がアップしていると思うのでもうここではのせません・・・。
なんで整理券を配らないのか疑問・・・。

会期は24日までですが、あまりの殺到ぶりについに20日からはネットやローソン、プレイガイドでのチケット販売が中止になり、チケットは当日美術館で買うことしかできなくなりました。
前売券を買っていた私としては、前売券を持っている人を優先入場させてくれ~という気分。職場の同僚いわく、「美術館の入口で『若冲の苗字は?』と聞いて答えられなかった人は『はい、やりなおし』と列の最後尾にもう一度並ばせればいいのに」。まったくだ!

あああー、2000年に京都国立博物館でやった若冲展に行きそびれたことが、いまさらながら悔やまれました。←あのとき見ておけばその2
京都で出品されていたビゲローコレクションも今回また来てたし・・・。
ってゆーかいつのまに若冲こんなに有名になったん?

まあ本を読みながら待たせていただきましたよ210分。だんだん陽が暮れてきて本が読めなくなってきて、せめてあと1時間早く来るべきだったと思いました。途中途中に給水所が設置されていてまるでマラソンです。
館の建物に近づいてもまだまだぐるぐるして、やっと夕方7時20分ぐらいに展示室に入れました。

これは館内のディスプレイ↓若冲の絵が動きます
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もちろん中も大混乱ですが、全部を最前列で見ようとしなければ、十分堪能できます。私が見終わって出たのは8時20分くらい。三時間半待って滞在時間1時間。
この日の閉館時間は本来8時ですが、外に出てもまだまだ行列・・・。真っ暗な中。
館内の張り紙によると、閉館時間になると作品保護のため照明を消すとのこと。・・・どの程度?
薄暗い中で鑑賞するのかしらん。
並んでいるときに、後ろの人が「最後の人が入場して30分後に本当に閉館するらしい」と言ってましたが、それも本当だか。
まあとにもかくにも、これを教訓に都美館さんは何か対策を講じていただきたいものですな。では。



今日のお・や・つ35 トルコのロクム

先日、友人からトルコのお菓子ロクムをいただきました。

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私がトルコに行ったのは2009年のこと。もうずいぶん前です。
いや~なつかしい♪やっぱピスタチオ味がおいしい!
なんというか、ちょっと固めのギュウヒのような、ゆべしのような食感。もっちもち。久々に食べました。

実はこのロクム、アイルランドの作家C.S.ルイスの『ナルニア国物語ライオンと魔女~』に登場しています。
妹ルーシーを探してナルニア国にやってきたエドモンドが、白い魔女に与えられたお菓子。あの食べれば食べるほど欲しくなってしまう、ふわふわの甘~いお菓子です。

原語ではターキッシュ・ディライトTurkish Delight(トルコの愉しみ)。ロクムのことを英語でこう呼びます。ですが、岩波少年文庫などの瀬田貞二氏の訳では単に「プリン」と書かれています。これは日本の子供たちにもわかるスイーツにするための意訳です。
私としては「マシュマロ」くらいにすべきだったのでは、という気が。だって“箱に入っている”とありますから。

さて、トルコ土産の定番ロクムはトルコ中どこでも売っています。イスタンブール市内なら、「ハジュ・ベキル」というお店が老舗の有名店です。
カッパドキアのホテルのロビーには、民族衣装を着てお盆にのせたロクムをふるまう美少女がいました。ウェルカム・ロクムといったところ。

私は定番のピスタチオ入りが好きですが、いろんなフルーツの味があります。
オスマン朝時代の古い街並みが残る世界遺産の街サフランボルでは、その名の通りサフラン味の黄色いロクムが名物です。
サフランボルにはロクム屋がたくさんあって、試食もできます。私はサフラン&ココナツ味が気に入りました。バラのロクムも香りがよくて人気です。

サフランボルにて↓長いサフラン・ロクムをハサミで切っている。
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トルコは知る人ぞ知るスイーツ天国!ここからはトルコスイーツのご紹介。
これはカッパドキアで泊まったホテルの、夕食バイキングのデザートコーナー↓ここから向こうの端まで全部スイーツ。すごい量と種類。

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そして意味不明なピンクのサッカーボールケーキが笑える↓
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パムッカレのホテルはこんな感じでした↓
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ロクム以外で、定番のトルコスイーツといえばやはりバクラヴァ
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くるみなどのナッツを挟んで焼き上げたパイ生地にシロップをしみこませた激甘スーツです。各家庭の味があり、既婚女性はたいがい自分で作れます。

下の写真左端は、カステラに限界までシロップをしみこませたもの。

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中央はクレームブリュレに見えますが、「シュトラッチ」というライスプリン。お米のつぶつぶ食感が楽しい。そして右端はふたたびバクラヴァです。
え?それより醤油のビンが気になる?お店側の日本人客への配慮でしょうね。誰も使っていませんでしたが。

最後にトルコのお土産集合写真から(一部を切り抜き)↓。中央縦に箱が並んでいます。
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上から順に、渦巻きロクム、チョココーティングのピシュマニエ、普通のピシュマニエ、パムッカレで買ったロクム、エフェソス社のロクム。
ピシュマニエは綿菓子のようなお菓子です。少し食べて、しばらくして箱を開けるふふわ~とほどけて再び箱いっぱいに戻っている・・・。食べても食べても無くならない(笑)。

パリやウィーンに劣らずトルコも、甘いもの好きにはぜひともおすすめしたいところです。

GW4府県めぐり&ちはやコスプレ

今年のGWは実家の京都に帰ったついでに、珍しく色んなところに出かけてみました。
1日目(滋賀):近江神宮三井寺大津事件跡(石碑のみ)→義仲寺→伏見で晩ごはん
2日目(京都):京都鉄道博物館祇園でランチ→下鴨神社でお白石持神事に参加
3日目(兵庫):伊丹市立美術館で「エドワード・ゴーリー展」
4日目(奈良):奈良国立博物館で「信貴山縁起絵巻展」→春日大社で御假殿特別参拝
とまあ、めっちゃ充実した連休でございました。

実は1年前に近江神宮に行ったとき、勧学館に行くのを忘れまして(汗)。
今回はそのリベンジです。前回は車だったので、今回は大津京駅から歩いてみました。道中に天智天皇がたてた大津京の遺跡が点在していて、けっこう楽しかった☆
そして去年とうって変わって、近江神宮はすごい人!さすが「ちはやふる」映画化効果。境内ははかま姿の人だらけ。
というわけで私も期間限定・着物体験をしてみました~♪

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さんざん着物の柄選び(上下の組み合わせ)に悩んだすえ結局、朱色&紺の「ちはや」コスプレに(笑)。後ろから見たらちはやに見える・・・?
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ちゃんと一人ずつ着付けしてくれて、足袋風靴下、草履、巾着と小物も貸してくれます。しめて500円。1時間以内に返却。
結構な人数が順番待ちしていました。ダテめがねまで用意してあるのが笑える!新(あらた)のコスプレ用?

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ちはやふる~」の札の前で↑
境内の回廊には百首すべての札がいつもかけられています。

そしてここが近江勧学館「浦安の間」!名人戦・クイーン戦の舞台でございます!

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館内の様子は本当にマンガのまんまでした。
いまなら勧学館内に、映画「ちはやふる」のロケに使われた大道具が展示してあります↓よく見ると主要キャストの直筆サインが!

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京津線はラッピング電車走らせてるし、ラッピングタクシーで「ちはやふる」に出てくる場所をめぐるツアーなんてのもあるそうです。

ちなみに1年前の近江神宮レポートはこちら↓


最近サボっていましたが、新しい記事を旅行ガイドサイト「トラベル.JP」に掲載しました。こちらもご覧ください↓
「京都人が愛する元祖にしんそば」



『アイヒマン・ショー』

世紀の裁判「アイヒマン裁判」のテレビ中継の舞台裏を描いた『アイヒマン・ショー~歴史を映した男たち~』を見ました。

ダビッド・ベングリオン首相がアイヒマンを拘束したことを発表する実録映像から始まり、その後も当時の白黒映像を交えて上手に作ってありました。

裁判の映像が残っているのは知っていましたが、それが当時イスラエルでラジオ中継されたり、全世界で放送されていたことは知りませんでした。
裁判をテレビで放送することには賛否あり、国中が厳戒態勢の中で実行されたそうです。

アイヒマンについてここで多くを説明する余裕はないのですが、要するに彼は600万ともいわれるユダヤ人を死に追いやった張本人です。
彼は戦後、偽名を使ってアルゼンチンで暮らしていましたが、ナチスの残党狩りをしていたモサドイスラエル情報局)がついに彼を見つけてイスラエルに連行しました。1961年、エルサレムで裁判が行われ、翌年、アイヒマンは絞首刑に処されます。
ちょうどガガーリンが宇宙に行ったり、キューバ危機が起きたりしたころです。

私がアイヒマンについて印象に残っているのは、その正体がバレたきっかけです。
ある日、アイヒマンは仕事の帰りに花屋で花束を買いました。
かねてから彼を監視していたモサドは、その日がアイヒマンと奥さんの結婚記念日だったことから、この男こそアイヒマンであると確信したのです。。
ユダヤ人大量虐殺を指揮した男が、結婚記念日に妻に花を買う。
このことを、あなたはどう受け止めますか?

実はこれをヒントに、アイヒマン実験ミルグラム実験)が行われました。
特定の状況において、普通の人がどれだけ残酷になれるかを試したものです。
私は10代の青少年に、ホロコーストについての講義と映像紹介をしたあと、紙面でこの実験を疑似体験させたことがあります。
ホロコーストを学んだ直後は、ナチスについて
「異常だ」「精神がおかしい」「心がない」「なぜこんな恐ろしいことができるのか」
などと言っていた子供たちが、
この実験体験と一連の課題を終えるころには、
ナチスの人が特別冷酷なのではない」「誰もが加害者になりうる」「自分がこわい」と言いだします。
映画の中でも、撮影監督のフルヴィッツのセリフにこの実験を彷彿とさせるような部分がありました。

ホロコーストを生き延びたユダヤ人が、戦後建国されたイスラエルに移住し、自分がヨーロッパでどんな目にあったかを周囲に話しても、以前からそこに住んでいたユダヤ人は誰も信じてくれなかったといいます。
いくらなんでもそんな恐ろしいことが、残酷なことが、あるはずがない。お前はうそつきだ。作り話に決まっている。
しかしアイヒマン裁判の場で100人を超える証人が、収容所で何が行われたか、どんな経験をしたかを語ったことで、ようやく彼らはヨーロッパから来た同胞の言葉を信じることができるようになったのです。
そうしてアイヒマン裁判は、全世界がホロコーストと真剣に向き合うきっかけとなりました。

映画の最後に当時の映像のアナウンサーが言っていた言葉が印象的でした。
うろ覚えですが、こんな感じです。
「自分が他人より優れた人間だと思ったり、肌の色や宗教で人を見下したりすることは、理性の喪失であり狂気への道である。」

ゴールデンウィークに入りましたね。
私も更新をしばらくお休みさせていただきます。
では5月にお会いしましょう。


アウシュヴィッツ2・収容棟内の展示

個人でアウシュヴィッツに行く日本人の間で有名な本があります↓

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著者の中谷剛さんは、日本人唯一のアウシュビッツ博物館公認ガイド。
事前に予約すれば、現地で中谷さんのガイド付きで見学ができます。
ガイドをつけない場合は、この本が重宝します。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の中の様子が、順路に従って詳細に解説されているのです。ガイドなしで見学している日本人は必ずと言っていいほど、この本を携えています。
今日ここで紹介する写真の説明も、現地のキャプションに加え、この中谷さんのガイドブックに多くを負っていることをお断りしておきます。

以前掲載した第1アウシュヴィッツの「ARBEIT MACHT FREI」の門をくぐると、
かつての囚人収容棟が並んでいます↓
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各棟に番号がついていて、最初に4号棟に入ります。ここには収容所への輸送に関する資料があります。
入口近くのガラス壺に入った白い粉のようなものは犠牲者の遺灰です↓

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1940年~1945年の間に、ここで約110万人が殺されました。
パネル写真の展示↓

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初代所長ルドルフ・ヘース直筆の書類もありました。
ギリシアからのユダヤ人に与えられた、輸送列車の偽切符↓

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収容者に書かせたハガキ↓
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1941年5月29日の収容者リストに残るコルベ神父の名前(番号16670)↓
本名はライモンド。1894年1月8日生まれ。

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アウシュヴィッツで見ず知らずの他人の身代わりになって亡くなった、マクシミリアノ・マリア・コルベ神父。
思えば、コルベ神父について書かれた本を中学生の時に読んだのが、私がアウシュヴィッツナチスについて興味をもつようになったきっかけでした。
早乙女勝元氏の著書『優しさと強さと アウシュビッツのコルベ神父』という本でした。その夏に書いた読書感想文でなにかの賞をいただき、以来、いつかアウシュヴィッツに行こうと思い続けて、ようやくその夢が叶いました。

収容棟の11号棟にはコルベ神父が入れられた地下牢や餓死室も残っていますが、この棟だけは写真撮影が禁止でした。

さて、4号棟の2階にはガス室と焼却炉の模型があります↓

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焼却炉の部品の残骸も展示されています。
毒ガスチクロンBの空き缶も↓
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チクロンBはシアン系の劇薬で、直径15センチほどの缶に入っています。粒状で、本来は害虫駆除剤です。アウシュヴィッツでは25トンものチクロンBが使用されました。

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またこの4号棟2階には収容者から刈り取った膨大な量の髪の毛がうずたかく積まれた衝撃的な部屋もあるのですが、撮影禁止。遺体の一部ですからね。
ナチスはこれらの人毛でカーペットなどを作っていました。

次回のアウシュヴィッツ・レポートでは、息をのむ遺品の山を紹介します。